| 活動開始の時期 |
1997年05月 |
| 活動開始の経緯 |
JTEFトラ・ゾウ保護基金は、野生の生きものの立場に立ってその世界を守り、生物多様性を保全すること、そのことを通じて人の豊かな自然環境を守ることをめざして設立された非営利、非政府の団体です(2009年10月設立)。
この目的=生物多様性保全のグローバルなシンボルとなるのがトラとゾウです。広大な生息地を必要とするトラとゾウを守ることは、生態系全体を保全することにつながり、それらが自然に生き続けられるようにすることは、40億年の進化のプロセスを継いでいくこと=生物多様性を保全することになります。同時に、彼らはその生存が危機にさらされている絶滅危惧種を象徴する悲劇のシンボルでもあります。
トラ・ゾウ保護基金の英名略称であるJTEFは、じぇい「てふ」と発音します。JTEFのロゴに描かれているチョウの古語である「てふてふ」の「てふ」です。小さなチョウも、野生の生きものの世界の一員としてトラやゾウと共にあります。そして私たちの豊かな生活も生物多様性を基盤にして成り立っています。また、「てふてふ」の羽の形∞には、地球の進化のプロセスが永遠に続き、生きものの世界が展開し続けるようにとの願いが込められています。
JTEFは、その目的を達成するため、個人の方々からの寄付金をおもな財源に活動するNGOをめざしています。そうすることで、より独立した公益性の高い活動ができ、しかも個々の人々が参加できる活動になると考えたからです。いただいた寄付金の使い方については、次のルールを定めて実行しています。
○実施する意義の大きい生息地支援などのプログラムのために使います。
・野生生物保全についての考え方にそくしたプログラムを行ないます。
・プログラムは、実際に保全の効果が見込めるものとします。
・指標とする野生生物(たとえばトラ)の全体から見ても重要といえる生息地に支援します。
・JTEF自身で行なう必要がある、と考えられるものに支援します。
○寄付金は、確実にプログラムのために使います。
・プログラムは、現地の協働パートナーの意見を尊重しながら密なコミュニケーションをとり、共同作業で計画、さらに実施状況を継続的に確かめ合います。
・JTEFへの寄付者に対し、寄付金の使途やプログラムの実施状況について十分な情報が提供できるよう、現地視察を含めた現地からの情報収集を重視します。
・可能な限り管理費を切り詰め、寄付金が事業費(プログラムや国内における政策提言や普及啓発活動)に回るようにします。
・JTEFの収支は、NPO法人全体としてはもちろん、トラ、ゾウ、イリオモテヤマネコごとに、詳細な年次報告を行ないます。
JTEFの活動の柱は、トラ保護基金、ゾウ保護基金、そしてイリオモテヤマネコ保護基金となっています。これら保護基金には、それぞれのヒストリーがあります。
トラ保護基金
1996年、現JTEF理事長戸川は、アムールトラの生息地を旅するツアーに個人として参加しました。冬はマイナス30度にもなる餌動物の少ない広大なロシアに生息するアムールトラは、1991年にソ連邦が崩壊し国境が開かれたとたん密猟者がどっと流れ込み、毛皮や漢方薬に利用する虎骨の密猟で危機に陥りました。1冬で150頭も殺された年もあります。当時400頭いたアムールトラは半減し、国際的にトラの危機がさけばれ保護の機運が高まっていました。
戸川は個人的にこの旅行に思い入れがありました。晩年トラの研究に勤しんだ父戸川幸夫(直木賞受賞作家)はほとんどのトラの亜種がいる地域を訪れていましたが、ソ連邦崩壊の翌々年に脳梗塞に倒れたためアムールトラの生息地だけは行けなかったためです。トラのバイブルともいえるトラの専門書「虎 その孤高なるもの」や「白食山塊」というロシアを舞台にしたアムールトラの長編小説も書いていたので、ロシアにはどんなに行きたかっただろうと偲ばれるところがありました。
国際機運が高まってはいたものの、ロシアはトラを保護する経済的ゆとりがありませんでした。そこでアメリカやドイツのNGOが資金援助し、ロシア政府下にパトロール隊が結成されていました。トラはアジアにしか生息していないし、日本はアジアの経済大国です。しかも新潟からたった1時間半で行ける近さなのに、当時の日本ではトラの保護など遠い話で、虎骨入り漢方薬が堂々と合法に販売されていました。
「日本でも野生のトラのために何かしなければならない。」という気持ちで、戸川らが帰国後すぐに準備を開始し、1997年1月に立ち上げたのが「トラ保護基金」でした(任意団体)。日本で寄付を集め現地でトラと生息地を守っているレンジャーに必要なものを届け、日本でトラの危機を発信し、トラ製品を販売禁止にするのが主な目的でした。このトラ保護基金と次にご紹介するゾウ保護基金がJTEFのルーツとなっています。
ゾウ保護基金
事務局長坂元は、1994年頃から象牙取引の問題にかかわっていました。当時最大の象牙消費国である日本が、1989年に禁止された象牙の国際取引を再開させようとしていたためです。1997年に南部アフリカのジンバブエで開催されたワシントン条約締約国会議(ジンバブエ)では、文字どおり激しいバトルが展開されました。この会議では、条件付ながら日本1国が50トンの象牙を南部アフリカ3カ国から試験輸入することが決まってしまいましたが、この場で坂元が出会ったのが、現:インド野生生物トラスト(WTI)代表のビベック・メノン氏でした(WTIは現在のトラ保護基金、ゾウ保護基金(アジアゾウ)のプロジェクトの協働パートナーです)。会議の9ヵ月後、坂元は彼に連れられて南インドの野生生物保護区を訪れました。そのとき、2人がともに挑戦を誓ったのは、ジンバブエ会議でムガベ大統領が行った演説の内容に対してです。それは、「ゾウが守られるべきものならば、その身を売った対価でもって、その費用としなければならない」というものでした。消費国・日本と生息国・インドのNGOが協力して、野生動物自身に「身を売らせる」ことなしに、人間と共存できるような保全プロジェクトを実行することを目指すことにしたのです。
一方、アフリカゾウについては、1990年代に、ペレツ・オリンド元ケニア国立公園庁長官や小原秀雄女子栄養大学教授(現名誉教授)が中心となってケニアのツァボ国立公園へマラリア予防薬等の医薬品を支給されていた基金活動が行なわれていました。この基金と、インドのアジアゾウ保護のための活動を統合し、2000年4月に「ゾウ保護基金」が誕生しました(当時はあるNGOのプロジェクトのひとつとされていた)。
イリオモテヤマネコ保護基金
イリオモテヤマネコは、西表島だけに生息するヤマネコです。ヤマネコに象徴される西表島は、日本の中でも人の影響が少なく安定した環境の中で生きものの進化の営みが続いてきた場所です。同時に、島の生態系は非常にもろく、種の絶滅が集中する場所でもあります。その生態系の鍵となるイリオモテヤマネコは、日本の生物多様性保全のひとつのシンボルといえます。
このイリオモテヤマネコは、1965年に理事長戸川の父戸川幸夫らが発見しました。戸川が小学校高学年のころ、父は西表島に行っては数カ月帰ってこず、帰ってきたと思ったらまた行くという、行ったり来たりの生活をしていましたが、やがて捕獲に成功したオスとメスのヤマネコが国立科学博物館へ行く前の約2年間、自宅の庭で飼育されていました。冬になると寒さに弱いヤマネコのために、子供部屋を譲り渡し、台所で宿題をしていたこともありました。ヤマネコは近寄るとフゥーッと声を出し、捕らわれても威厳のある野生の姿をケージの中から見せつけていました。
あれからもう40年以上も経ちますが、ヤマネコの状況は良くなっていません。かえって、2007年にはレッドリストのランクが最上位(もっとも絶滅のおそれが高い)に上がってしまいました。交通事故で死ぬネコが多いこともわかっているのに島内を走る県道は大きく拡幅され、現に速度制限を大きく超えたスピードで車が行き来しています。また、リゾート開発を当て込んだようにヤマネコの生息地が次々と買い取られています。
そこで、2009年10月、JTEFがNPO法人として設立されるにあたり、「トラ保護基金」、「ゾウ保護基金」に、「イリオモテヤマネコ保護基金」が加わりました。 |
| 活動分野 |
・社会教育の推進を図る活動
・環境の保全を図る活動
・国際協力の活動
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| 主たる活動分野 |
環境の保全を図る活動 |
| 主たる活動対象地域 |
・その他
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| 事業内容 |
この法人は、前述の目的を達成するめため、次の特定非営利活動に係る事業を行う。
(1)生息地における野生生物保全活動事業
(2)生息地外における野生生物保全に関する教育・普及事業
(3)野生生物保全に関する政策提言事業
(4)チャリティー・イベントの開催事業
(5)会報発行事業 |
| 活動キーワード |
・動物園
・自然環境
・野生動植物
・生物多様性
・地球環境
・森林の減少
・国際環境協力
・環境学習
・こどもの環境学習
・法令/条例/条約
・農村開発
・植林
・森林の保全
・環境教育
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| 昨年度の主な事業名 |
生息地における野生生物保全活動事業 生息地外における野生生物保全に関する教育・普及事業 野生生物保全に関する政策提言事業 チャリティー・イベントの開催事業 会報発行事業 |
| 会報誌 |
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会報誌・書籍申し込み
ホームページアドレス |
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| お薦めの発行書籍と価格 |
・野生動物のためのソーシャルディスタンス/発行2020年11月2420円(書店1) |
| 過去の助成・補助・委託実績 |
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