企業CSR・社会貢献活動

花王株式会社

花王は、「よきモノづくり」を通じて、豊かな生活文化の実現に貢献できることを使命としています。"よきモノ"をお届けする事業活動とともに、よき企業市民として、社会に貢献することを目的に社会貢献活動に取組んでいます。

金谷山さくら千本の会

 来年2014年、徳川家康の六男・松平忠輝公が、高田城を築き、城下町を開いてからちょうど400年になる。新潟県上越市高田地区。かつてここは江戸時代に高田藩の城下町として栄えた場所である。春には高田城の城跡を約4000本の桜が彩り、日本三大夜桜の一つと称されている。
 金谷山(かなやさん)さくら千本の会(以下、千本の会)が活動をする金谷山公園は、JR高田駅から3㎞ほどの場所にある。到着して最初に目に入ったのは、スキーのリフト乗り場であった。公園は、オーストリア・ハンガリー帝国の軍人テオドール・フォン・レルヒ少佐によって日本に初めてスキー術が伝えられたスキー発祥の地である。近年は雪も減り、スキーは以前のようには盛んではなくなったが、冬になると地元のスキーを楽しむ家族連れは今も多い。V字型のスキーゲレンデに挟まれた約3haの雑木林で、千本の会は金谷山を彩る里山づくりを行っている。今回、千本の会の会長である相澤紀(あいざわおさむ)さんと会のメンバーの皆さんにお話を伺った。

『俺たちのふるさと、高田』

 千本の会は高田高校を1960年に卒業した同級生有志が設立した。2002年、還暦を記念して集まった際に、以下の様な会話が繰り広げられたそうだ。「そろそろ俺らも定年だなあ。」「何かしたいな。ふるさとのために。」「じゃあ高田のシンボルである桜を植えよう。」「1本で終わりではつまらないよな。」「たくさん植えられる場所にしよう。」「金谷山なんてどうだろう。」「確かに、高校のスキーの授業の思い出の地であるしな。」
 メンバーがそれぞれ意見を出し合う。皆の思いは一つ。「俺たちのふるさと、高田のために何かがしたい。」
 会の目標は、金谷山の四季を彩ること。その中でも高田のシンボルである桜を中心に金谷山を彩り、長く活動を続けていこうという思いから、会の名前は「金谷山さくら千本の会」と名付けられた。
金谷山のゲレンデと活動場所(左端)

『雑木林に差し込んだ光』

 まず活動は雑木林の整備から始まった。活動当初の金谷山の雑木林は人が入れる状態ではなかった。戦後十数年は薪に利用するために木を切っていたが、それ以降は薪の利用もなくなり、人の手が入らなくなったためである。
 ほとんどのメンバーは、最初は木を切ったこともなく、慣れない作業だったそうだ。すぐ横はゲレンデということもあり、傾斜は最大28度。荒れ放題の森での作業は、一歩先に進むのも一苦労だ。それでも、桜が彩る金谷山を夢見て、ひたすら汗をかきながら作業を続けた。
 整備のおかげで木々の隙間からは太陽の光が差し込み森を照らし、地面にはカタクリの花が一面に広がる場所もでてきた。
雨の中、斜面での雪割草の植え付け作業

『希望の桜』

 千本の会では、オオヤマザクラなどの野生種を4種類、里桜を14種類の計18種類を、これまでに507本植えてきた。しかし雪やウサギなどの被害もあり、現在金谷山に残る桜は381本だそうだ。
 毎年金谷山には2mを超える積雪がある。雪にやられないように、植える桜はすでに3mほどに成長したものだそうだ。そのため、桜の苗を運ぶのは3、4人がかり。根と土をなじませる“水ぎめ”に必要な水を運ぶのも大変だ。それだけ苦労しても、雪が解け金谷山に行くと、雪の重みで倒れてしまった桜やウサギに皮を噛まれてしまった桜の痛々しい姿を目にすることになる。切ない想いは胸に、すぐに桜の復旧作業に取り掛かる。倒れた桜にロープを巻き付け7人がかりで引っ張る。力を合わせて倒れた桜の木を起こし、支えてやると、また元気に成長し花を咲かせてくれる木もあるそうだ。「本当に、本当に、よく咲いてくれた。」と相澤さんは力をこめた。
 桜を植え始めて12年。「桜が咲くと心躍りますね。」メンバーは満面の笑みで話していた。

『金谷山の彩り』

 いまや金谷山を彩るのは、春の桜、冬の雪だけではない。千本の会では、桜だけでなく雪割草や水芭蕉等も植えつけ、伐採木を利用したナメコ栽培、湿地、水辺や遊歩道の整備、憩いの場としてベンチの設置等の活動を行ってきた。そのことにより、山の草花がよみがえり、整備した水辺にはカルガモが飛来しカエルが泳ぐようになった。そしてなにより、金谷山に人が入って来るようになった。地元の小学生が金谷山に入り自然の中で遊ぶともある。親子が栗拾いに来ることもある。「子どもたちが来てくれることはやりがい。」「もっと金谷山に来てほしい。」金谷山に入って、見て、自分自身で“何か”を感じて欲しいというのは、メンバーの願いでもあるそうだ。

『口を出さずに汗を出す』

 千本の会のモットーは『口を出さずに汗を出す』。昔馴染みだからこそ、遠慮なく話しすぎてしまうため、作業が進まなくなっては困ると皆でこのモットーをつくったそうだが、「年を取るにつれ、さらに口が出るようになってきましたね。」と会長の相澤さんは苦笑いで話す。会の活動にはメンバーの奥さんも参加し、活動が終わり一汗かいた後は、皆で和気あいあいと昼食を囲み、孫の話や世間話に花を咲かせる。「皆、金谷山をよりどろにしているのだよ。」10周年を記念して作られた千本の会の歌は、高校の校歌のようにそこに属する人たちの見えない絆を感じさせる。
 千本の会のメンバーは金谷山に新たな居場所を見つけ、仲間とそして桜とともにこの高田の地で生きていく。もちろん、遠慮なしに楽しく口を出し合いながら。
活動に参加して-執筆担当:阿部 千穂子(上智大学) 森の外では傘をささなくてはならないような雨が降っていたが、森に入ると木の葉が少しだけ傘の役割をしてくれたようだ。雨でぬかるんだ土で足を滑らせたが、雪割草を植える作業には丁度よかった。雪割草の根と土はうまくなじみそうだ。
 何のために森づくりの活動をしているのだろう。森と関わらずに生きてきた私は共感できるのだろうかと考えながら高田の地に向かった。千本の会の皆さんは、森が好きなのはもちろんであるが、何より自分たちが生きた高田を、そして人を愛していた。
 私は今住んでいる場所が、何十年後に変わってしまっていたらどう感じるだろう。小学校時代に遊んだ公園がなくなってしまったら? 今当たり前にあるものや人の大切さを改めて考えさせられた。
 「私、定年になったら千本の会みたいに活動したい!」単純だろうか。しかし千本の会の皆さんの楽しく充実した笑顔を見て、素直にそう思ったのだ。
活動を終えて、会長の相澤さんと